日々是:相田翔子
徒然なるままに 相田翔子的に森羅万象を考察してみたい
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またこの日がやってきた
また1年経った。
2月22日。
この日の記憶が薄れつつある。
それでも、可能なかぎりいつまでも覚えていよう。

イ・ウンジュよ、永遠に。



希望
思えば、たくさん騙されてきた。

ただ本当のことを望んでいただけなのに。

信じるのでもなく、ただ、疑うことを知らない。

そんな心境のまま生きていきたい。

幼い願望だろうか。


現実逃避
もう時間がない。
他の人が着実に前に進んでいるのに、私は何をしているのだろう。


痛みを感じる力
強くなることはないです
弱い自分に苦しむことが大事なことなんです
人間は元々弱い生き物なんです
それなのに、心の苦しみから逃れようとして強くなろうとする
強くなるということは鈍くなるということなんです
痛みに鈍感になるということなんです
自分の痛みに鈍感になると、人の痛みにも鈍感になる
自分が強いと錯覚した人間は他人を攻撃する
痛みに鈍感になり優しさを失う
いいんですよ、弱いまんまで
自分の弱さと向き合い、それを大事になさい
人間は弱いままでいいんですよ、いつまでも…
弱い者が手を取り合い、生きていく社会こそが素晴らしい


野島伸司脚本「聖者の行進」から。

いかいや長介演じる宇野弁護士の台詞。

弱さとは無縁であるかのような顔をしている人よりも、自分の弱さを認められる人の方が、私は信頼できる。


植物
ゴムの木はかろうじて生きている。
2本あった木のうち、1本は死んでしまった。

久しぶりにブログを覗くと、使えなくなっているツールがいくつもあった。
以前ブログを使っていた頃はまだ、ツイッターもフェイスブックもまだまだ知られぬ存在だったのに、今ではこのブログにも機能が組み込まれている。

時の経つのは早い。

このブログをかつて訪ねてくれた人が幾人かいたものだが、今となってはもうどうなっているのか分からない。


テーマ:日記 - ジャンル:日記

ゴムの木
昼、無印良品に行き、観葉植物を物色した。

うちの子になったのは、ゴムの木。

アメリカの刑務所のような建物の中にいると、息が詰まる。

緑を見るとホッとする。

花言葉は、永遠の幸せ。


生命
エアープランツなるものを購入した。
マグヌシアーナ、そしてフックシー(おそらく)。

自宅と研究室とでそれぞれ育てようと思う。

生き物と共に暮らしたい。そういう欲求が強く芽生えたことを受けての行動。

大震災以降、確実にそれまでとは人生観が変わってしまった。

頑張ろう。頑張ろう。

世間では大合唱だ。

確かに、頑張らねばならないのだろう。

しかし、私は日々、言い様のない不安にさいなまれている。今までの人生の中で、こんなこと初めてのことだ。自分の力ではもはやどうにもならない不安の種。放射能汚染。

日本から逃げ出してしまえば確かにその不安も解消されるだろう。しかし、私はこの国で生きていかねばならない。ここは私の祖国だ。

原発については、様々なの意見がある。原発なくして、どうやって必要電力を確保するのかと。現状維持派の人は言う。
私たちは、生活をどのように変えれば、原発に頼らずに生きていけるのだろうか。

万が一の可能性から目を背けてきた結果がこのたびの大惨事。飛行機だって列車だって事故はある。万が一は存在する。そのリスクを承知で人は便益を享受すべく、それらを利用する。しかし、その、万が一が起きた時のコストが尋常でないことに、人々は初めて気がついた。自分一人の命だけではすまない。将来に渡って、土壌が、水が、空気が汚染される。そのような危険と隣り合わせで得られる便益とは、何と罪深いものだろう。

核兵器。人々は知ったような顔をして、それを保持することの意義を説いてきた。反対する者への批判と共に。保持してこそ、安全と秩序、及び敵に対する優位が得られるのだと。

人間とは何と悲しい生き物だ。敵の存在の必然性は、他者にとっての己の存在の敵性と同義だ。
自分の保有する核兵器のために自国が滅びでもしないかぎり、人は核を保有したことを後悔できないのだろう。

風の谷のナウシカの世界への道か。
マグヌシアーナ

フックシー




またこの日がやってきた
1年経った。
この間、更新をしなかったというのも驚きだ。
2月22日。
この日の記憶が薄れつつある。
こうやって、人は大事なものを忘れていくのか。
悲しいことに。

イ・ウンジュよ、永遠に。


またこの日がやってきた
あの人が亡くなってから、何年経つだろう。
一年、二年と、時が経つにつれ、悲しみが癒えていき、記憶が曖昧になっていく。

そのことが、
悲しい。

イ・ウンジュ。


恒心
家族に対して素直になれない。 仏頂面でぶっきらぼうな物言いしかしない。
そんな私でも、優しくなりたい時がある。
自分が苦境に立たされている時。誰かにすがりたい時。助けて欲しい時。
家族にすら、優しくなる。少なくとも、口には出さなくとも、心根においては。

だから、かつて冗談交じりに兄弟に言ったことがある。
「この(冷たい)私が優しくなった時は、ピンチなんだと思ってくれ」と。

身勝手なものだ。
そんなものはまことの思いやりではないのに。

自分が望んでいること、欲していること。しかし、現実には目の前には存在しない。
だから、自分でそれを実現する。


孤独だ。
容赦ない悪意にくじけそうになる。
しかし、本を読むと苦しみが薄れる。
今の世、自分の身の回りにはいなくとも、自分の理解者はいたのだと。
かつて、この世に存在した賢人との対話。
今の私の心の拠り所。

論語の中の一節に、自分の名前の一文字を見つけた。
自分の名前が愛おしくなった。

かつて、従兄弟の父親からけったいな名と嘲られたこともあったが、今は亡き我が父に感謝したい。

負けてはならぬ。


三沢が逝った
ノア社長、三沢光晴が死んだ。
試合中にバックドロップを食らって、頭を強打したとのこと。

何気なく、ネットでその速報記事を目にした時、我が目を疑った。

「何で三沢が死ぬんだよ。不死身の三沢が」

言葉が出ない。思考停止。
茫然自失。

信じられない。



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