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強くなることはないです
弱い自分に苦しむことが大事なことなんです
人間は元々弱い生き物なんです
それなのに、心の苦しみから逃れようとして強くなろうとする
強くなるということは鈍くなるということなんです
痛みに鈍感になるということなんです
自分の痛みに鈍感になると、人の痛みにも鈍感になる
自分が強いと錯覚した人間は他人を攻撃する
痛みに鈍感になり優しさを失う
いいんですよ、弱いまんまで
自分の弱さと向き合い、それを大事になさい
人間は弱いままでいいんですよ、いつまでも…
弱い者が手を取り合い、生きていく社会こそが素晴らしい


野島伸司脚本「聖者の行進」から。

いかいや長介演じる宇野弁護士の台詞。

弱さとは無縁であるかのような顔をしている人よりも、自分の弱さを認められる人の方が、私は信頼できる。
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陽子:「みんな、立ちなさい」

景麒:「主上」

陽子:「景麒にも聞いてもらおう。私は人に礼拝されたり、人の間に序列あることが好きではない。相手の顔が見えないことが嫌だ。人から叩頭されることも、叩頭する人を見るのも不快だ」

景麒:「お待ちください」

陽子:「これ以後、礼典、祭典及び諸々の定めある儀式、他国からの賓客に対する場合を除き、伏礼を廃し、跪礼、立礼のみとする」

景麒:「主上」

陽子:「もう決めた」

景麒:「侮られたと怒る者がおりましょう」

陽子:「他者に頭を下げさせて、それで己の地位を確認しなければ安心できない者のことなど、私は知らない。それよりも、人に頭を下げるたび壊れていくもののほうが問題だと私は思う。人はね景麒、真実相手に感謝し、心から尊敬の念を感じた時には、自然に頭が下がるものだ。他者に対しては、礼をもって接する。そんなことは当たり前のことだし、するもしないも本人の品性の問題で、それ以上のことではないだろうと言っているんだ」

景麒:「それは、そうですが」

陽子:「私は、慶の民の誰もに王になってもらいたい。地位でもって礼を強要し、他者を踏みにじることに慣れた者の末路は、昇紘・呀峰の例を見るまでもなく明らかだろう。そしてまた、踏みにじられることを受け入れた人々が辿る道も。人は誰の奴隷でもない。そんなことのために生まれるのじゃない。他者に虐げられても屈することない心。災厄に襲われても挫けることのない心。不正があれば正すことを恐れず、けだものに媚びず。私は慶の民に、そんな不羈の民になって欲しい。己という領土を治める唯一無二の君主に。そのためにまず、他者の前で毅然とこうべを上げることから始めて欲しい。諸官は私に、慶をどこに導くのかと聞いた。これで答えになるだろうか。その証として、伏礼を廃す。これをもって、初勅とする」

2006.10.14 子ども
子ども

ドロシー・ロー・ホルト

批判ばかりされた子どもは 非難することをおぼえる
殴られて大きくなった子どもは 力にたよることをおぼえる
笑いものにされた子どもは ものを言わずにいることをおぼえる
皮肉にさらされた子どもは 鈍い良心のもちぬしとなる
しかし、激励をうけた子どもは 自信をおぼえる
寛容にであった子どもは 忍耐をおぼえる
賞賛を受けた子どもは 評価することをおぼえる
フェアプレーを経験した子どもは 公正をおぼえる
友情を知る子どもは 親切をおぼえる
安心を経験した子どもは 信頼をおぼえる
可愛がられ抱きしめられた子どもは 世界中の愛情を感じとることをおぼえる
『絵を描けるのは、神様からの恩賜と私の使命だと思い、幸福を感じます。』

「陳淑芬+平凡自撰画集2 Sweet Days スイート・デイズ」より、平凡のコメント。

本当にそうだと思うよ。正直、羨ましい。その才能。
無論、絵というのは、単にデッサン力の精緻さで価値が決まるわけじゃない。己が感じ取ったもの、思いを筆に込めるのだから。むしろ、小手先の技術ではなく、感じ取る感性が必要なのだろう。
しかし、そういうことを全て含めた上で、やっぱり羨ましいなぁ。

あんな素敵な絵描けたら幸せだろうナァ。

と、画集を眺めながらため息をつく。

嗚呼、日々是相田翔子なり。

台湾行ってみたいナァ。
野球の練習中に声を一生懸命出していないと判断された者達に対し、監督から贈られた台詞。

この後、この者達は確かにこの世の地獄を味わうこととなった。
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