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日曜日は開店している定食屋が少ない。普段利用する店は皆閉まっている。普段は何とかやりくりしていたのだが、今宵はどうしても外で定食を食べたい。そこで、いつもの店よりは少々高めの値段設定だが日曜日も開いている駅前の定食屋に食べに行くことにした。初の試みである。

本音を言えば、その値段の高さゆえにあまり気乗りしなかったのだが、実際には満更でもなかった。
その店は定食を注文すると白ごはんがお代わり自由であった。それは、さして珍しいことでもなさそうが、この近辺では、このシステムを適用する店はもはや無くなっていた。しかも、それだけではない。この店では、ごはんのおひつが店内に設置されており、自分でお代わりしたい時に店員の目を気にすることなくお代わりに行けるところが特徴であった。
「居候、三杯目にはそっと出し」ではないが、お代わり自由と銘打たれていても、「すみませーん、お代わり下さい」と店員に申し出るのはなかなか勇気のいることである。
「自由っていうことは何回でもしていいってこと?」などと、誰でも頭の中では一度は考えるだろうが、実際に複数回お代わりなどできるものではない(※私は幼少の頃、某ラーメン屋で二回目のご飯お代わりを申し出ようとして母親に制止されたことがある。「どうして?お代わり自由ってなっているよ」と反論したものの許してもらえなかった。しかし、今では母親の気持ちがよく分かる)。
しかし、この店では客に心おきなくお代わりしていただこうと気配りしているのだ。何ともうれしい心遣いではないか。しかも、定食を注文した際に、店員はこう言った。
「お代わりのご飯はあちらにございます。ご自由にどうぞ」と。

完璧である。

しかし、喜びに浸る私を一転戦慄に陥れる出来事が起きることを、この時の私はまだ知らない。

お代わりしたご飯と生姜焼きに舌鼓を打っていたところ、体格がよく、パッと見、柄の悪い金髪坊や達が5,6人入店し席に着く。俗に言う、ヤンキーチーマーという輩だろう。時折、彼らからのものと思しき、耳をつんざくような笑い声が聞こえてきた。
私の食事も終わり、席を立とうかと思った頃、何やら店内が騒然とし、先述の坊や達がそろって店の外に出た。しかし、彼らの茶碗を見ると白飯がてんこ盛りに盛られている。そういえば、先程お代わりをする姿を目にした。はて、どういうことか。店への嫌がらせか。
様子をうかがっていると、店の外で黒髪の若者を取り囲み、襟をつかみながら何やら凄んでいる。そして、裏道に引っ張っていく。
一方、店内に目を向けると、先程の坊や連中のうちの一人が店内に戻り、黒髪の若者の連れと思しき女性に同様に凄んでいる。見ると彼女は泣いているようだ。

その坊やが再び店外に出た後、私は今がただならぬ事態であることを認識し、辺りを見回す。すると、後ろのテーブルの家族のうちのお母さんと思しき女性が携帯電話で電話をかけているのが目に入る。夫と思しき男性に「かわいそうよ」と答えているのが聞こえる。おそらく110番をしているのだろう。
私は私で店員(女性なのだが)を呼び、男性が外に連れて行かれたことを告げ、しかるべき処置を執ること(すなわち警察への連絡)を暗に求める。

店員は女性のところへ赴き、事情を尋ねているようだったが、かたや、後ろのお母さんが電話で「ああ、もう店の人が連絡したようです」と話している声も聞こえる。
「本当か?この店員は連絡したのか?」
苛立ちを覚えていると、店内に坊や連中のうちの一人とおぼしき者が戻ってきて、笑みを浮かべながら店員に事情を説明している。どうやら、黒髪の若者が彼らを”ちら見”したのに腹を立てたらしい。つまり「ガンを付けた」者に対して因縁を付けたということなのだろう。彼らの一方的な言い分によれば。そりゃ見るだろう。乱痴気騒ぎすれば。

まあ、話は分かったが、それで、黒髪の若者はいったいどうなってしまうのだろう。不安は消えぬ。警察も現れぬ。

事態を確認すべく店を出る。すると坊や達が裏道から戻ってくるのと出くわす。
黒髪の若者も一緒だ。ぱっと見、殴られた形跡も見られない。凄まれて終わったということか。

よかったあ。私の出番が生まれなくて。財布にはちょっとお金も入っていたし。
今度は自分が連中と目を合わせて、因縁を付けられてはつまらないと思い、その場で即座に回れ右をする。

一仕事終えたとばかりに満足げに店に入っていく坊や達と入れ違いに、哀れなカップルが店を出てくる。かわいそうに。まだ食べ終わっていなかっただろうに。もったいない。
黒髪の若者は上着のシャツをしきりに確かめている。心なしか、シャツは伸びてよれよれになったように見える。ただ、五体満足で解放されて良かったね。不幸中の幸いとはこのことぞ。連れの女性も何もされなくて良かった。

表通りにはパトカーが一台見えた。ひょっとして今回の件で呼ばれたパトカーだろうか。だとしたら遅い。もう全て終わった後だ。

それにしても、割り切れぬ思いが残る。
結局、お行儀の悪いチーマーは野放しのまま。善良な市民に恐怖感が残っただけ。
一番大きいのは、自分自身が何も果たせなかったという無力感だろうか。
例えば、全てが終わった後ではあるが、ひとり店に戻り、彼らにお説教を、というシミュレーションも脳裏をよぎったが、その後の展開では、彼らからの失笑もしくは、それこそ今度は自分が裏道に連れて行かれボコられて財布を取られるというイメージが浮かぶのみ。それはそれで一興なのだが、果たして意味があるのだろうか。平成日本のドン・キホーテよ。まあ、サンダーバード事件の二の舞だけは回避できたので、そのことだけでも良しとしようか。

嗚呼、日々是相田翔子なり。

しかし、やっぱり割り切れぬ。
せっかく見つけたお代わり自由の定食屋なのに、、、ってそっちの心配かよ。
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私はイライラすると、口に物を放りたくなる。俗に言うヤケ食いというやつだ。
懐を気にせずに存分に食べ続けられるものといえば、バイキング。
今回はケーキを食べたかったので、ケーキバイキングをネットで検索し、適当な店を見つけ食べに行った。

90分食べ放題で1260円。
まあまあ手頃な値段であろう。

バイキングに行く際は大抵失敗し、美味しいと思える臨界点を突破して気持ち悪くなるまで食べてしまうので、それだけは十分に気を付けようと自分に言い聞かせながらテーブルにつく。

さて、これから90分頑張ろうと思い、いつまで食べられるのか確認すべくレシートに刻印された時刻を見ると、私の”正確な”電波腕時計よりも20分遅れている(マイナス20分)。

「?」

私の中で、何かがシグナルを発している。

続いて、店の時計を見ると私の時計よりも5分早いではないか(プラス5分)。

おいおい、私は本当に自分の正当な権利である90分間フルに食べることができるのか。

もしも、店員がレシートを元に離席時刻を決定し、店の時計でその時刻を示そうものなら、私は結局65分間しか食べられないことになるぞ。

詐欺だな。

などと、不安が脳裏をよぎったが、その時はその時、自分の正当な権利は主張すればよいと覚悟を決め、戦闘(=食事)を開始する。

そうこうするうちに、一時間はあっという間に過ぎた。

ティラミスの美味しいこと美味しいこと。
シュークリームの美味しいこと美味しいこと。

やっぱりケーキは美味しいなぁ。

などと、こんな日記を書いては、私を知らぬ読者から、さぞやおでぶちゃんなのではないかと誤解されてしまうだろうが、そんなことは一切構わぬ。

酒席は大嫌い。
高い金を払って、好きでもない酒を飲まされるぐらいであれば、ひとりでケーキバイキングへ行った方がよっぽど楽しい人生を送れることだろう。

人は平気で私を裏切るけれども、ケーキは私を裏切らないからね。

嗚呼、日々是相田翔子なり。

来月もまた食べに行こう。
だって、ティラミス美味しいんだもん。
2007.05.11 眠りたいのに
眠れない。

しばらくこういう日々が続くのだろうな、きっと。

もう、いい加減、なれてしまえって。
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男女平等:韓国教育省が修正した教科書の挿絵とは(引用記事:挑戦日報【2007/05/08】)

 韓国の小学校1年生が2学期に使う『正しい生活』という教科書の87ページに、祖父母と両親、孫の3代が一緒に食事をしている場面を描いた挿絵が掲載されている。だがこの中に、母親だけが食事をせず、エプロンを着けたままで子どもにご飯を食べさせている絵がある。主婦だけが家族と一緒に食事をせず、家事にいそしんでいるというわけだ。

 また、先祖の墓参りをしている絵では、父親と子どもだけがお辞儀をし、母親はただ後ろから見守っている様子が描かれている。

 教育人的資源部は7日、小学校1、2年生用の教科書『正しい生活』と『生活の道しるべ』の中で、男女平等に反する考えを植え付ける恐れのある6種類の挿絵を修正し、2学期に入る前に新しい教科書を配布することを決めた。新しい教科書では、食事をしている場面を描いた挿絵が、家族全員が一緒に食事をしているものに変わり、また墓参りの場面では母親も一緒にお辞儀をしているものに変わった。

 また、小学校2年生が2学期に使う『生活の道しるべ』の72ページに掲載されている、法事の場面を描いた挿絵でも、これまでは家族の中で母親だけがいないものになっていたが、新しい教科書では母親も一緒にお辞儀をしているものに修正された。このほか、2年生の2学期に使う『正しい生活』の96ページには母親が食器を洗っている絵が掲載されていたが、これも父親が食器を洗っている絵に修正された。

 これについて教育部は「家事は全て女性がしなければならないという考えを子どもたちに植え付ける可能性があるため、修正することにした」と説明した。

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まあ、教科書の修正は第一歩だろうね。それを問題視するのであれば、建前で終わらせるのではなく、男女共同参画を真に推進していかないと。
韓国の現状は、修正前の教科書どおりなのだから。
何か疲れた。
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