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2007.10.27 浦島太郎
チュートリアルが母校に帰る企画ものの番組がやっていた。
土曜の午後、地方局制作のよくある番組である。

番組の中で、かつての同級生達と対面シーンがあったが、皆、彼らとは異なりオッサンと化していた。

そこでふと自分のことを思い出した。

私も社会人になってから、高校時代の部活の仲間などと会う機会があったが、彼らが開口一番口にするのが
「全然変わっていないね」ということ。腹を抱えて笑いながら。

一方、そういう相手に対し
「オマエ、おっさんやないか。立派に光輝いちゃってからに、あらららら」と心の中で思いつつも、時代に取り残されたような寂寥感に襲われ、口に出すことは出来ない。

私は別に芸能人でも何でもない、ただの市井の民であるが、変わらないのである。
とりあえず、外見は。

人は私のことをこう呼ぶ。

「年齢不詳系」と。

人が3人集まると、私の話題になる。
「あの人、いったい何歳なんだろうね」

ある日、彼らの代表が意を決して私に尋ねる。
「みんな気になっていたんだけど、いくつなの?」

私は機械的に答える。
「何歳でも良いですよ。あなたがたが好きに決めてください」
と。
いつものことだ。
回答マニュアルに常套句として掲載できる台詞だ。

10年後、20年後、いったいどんな私がいるのだろうか。
そらおそろしい。

小学生時代のかつてのある同級生の今の写真を見たことがある。
なるほど。年相応の姿だ。
私の記憶の中に残るものとは異なる姿がそこにあった。

もしも彼らと会うような機会があれば、ぜひ言われたい。
「お互い年取ったね」と。
一緒にあさっての方向を見つめながら。

私の夢の中では、私も彼らも皆、半ズボン姿でドッジボールを楽しんでいる。

そんな少年時代。眠るたびに何度でも蘇る。
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NHKをつけたら、上から読んでも下から読んでも同じ名前の人、中村中が出ていた。
その名前は以前よりどこかで目にしたことがあったが、それが歌手であったということを初めて知った。
なんか、この人のまとっている雰囲気が気になって、ネットで調べてみたら、この人は性同一性障害であるとのこと。別にそれを知りたかったわけじゃないのだけどね。

魅せられたよ。

この人は槇原敬之が好きだという。
彼の歌の優しさが好きだと。
彼は傷ついてきた人であり、痛みを知っている人だと。

槇原敬之。僕もこの人は少し気になっていた。
この人の歌では「君」と「僕」が登場する。

それらは僕が使う一人称と二人称なんだよね。
ただそれだけのことなんだけど、僕はそれらの持つ響き、距離感、優しさが好きなんだ。
対等な感じ、同志というような。

そう言えば、森田童子もそうだったね。

「君」と「僕」の世界。

僕は好きだ。

けれども、「君」と呼ばれるのを嫌う人、世の中にはたくさんいるんだよね。

「上から見下ろされている気がする」「気取っている」などと言ってね。

そんなつまらない理由で、僕の元を去っていった人もいたな。

それでも、僕は好きだ。

「君」と「僕」の世界。

共に歌おう。友達の詩。



嗚呼、日々是相田翔子なり。

年齢的には、僕が塾で教えていた子の中に、この人がいてもおかしくなかったんだね。
あの年、あの子達と同じ歳の時、この人は友達の詩を生み出したんだ。
最高気温も30度に達することはなくなった。何よりも、明け方、寒さを感じ、毛布を被らなければならなくなったことが大きい。

と言っても、まだ半袖一枚、夏仕様の格好で生活しているけどね。

今、私の中でインドがブーム。
映画祭でインド作品に触れてから、インドに対する関心がむくむくとわき起こってね。
映画、紀行文、そしてカレー。

今日、インドカレーを食べてきた。
美味しかったよ。

ランチメニューなかったから、高かったけどね。

ちょっと気を緩めると、不浄の手で口に運んでしまう。
インド人の前では気を付けないと。

彼らが本物のインド人であればだけどね。

話変わって、目の話。
職場で行った健康診断の結果、昨年よりも視力が低下したため精密検査を受けるよう指示が出た。
そして眼科へ。

結果。
異常なし。
視力は低下しているが、原因は不明。
異常が見られるわけではないとのこと。

こんなんで良いのかよ。わけわからん。
馬鹿馬鹿しいね。
来年度もおそらく視力は低下するだろう。
そして、眼科へ行き、異常なしとの診断を受けるのだろう。
レントゲンやら何やらたくさん高そうな機械を使った挙げ句、

異常なし。

馬鹿馬鹿しい。
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