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2007.12.09 大人買い
インド映画のDVDが5本届いた。
その他、近日中に韓国映画のDVD、インド映画のDVD(アメリカから)、サントラCDなどが続々と届く予定。

今年も古里に帰れず、職場で年越しをすることになるので、つい散財してしまった。

世間の人々より一週間程度は長く働くことになるな。
2007.10.27 浦島太郎
チュートリアルが母校に帰る企画ものの番組がやっていた。
土曜の午後、地方局制作のよくある番組である。

番組の中で、かつての同級生達と対面シーンがあったが、皆、彼らとは異なりオッサンと化していた。

そこでふと自分のことを思い出した。

私も社会人になってから、高校時代の部活の仲間などと会う機会があったが、彼らが開口一番口にするのが
「全然変わっていないね」ということ。腹を抱えて笑いながら。

一方、そういう相手に対し
「オマエ、おっさんやないか。立派に光輝いちゃってからに、あらららら」と心の中で思いつつも、時代に取り残されたような寂寥感に襲われ、口に出すことは出来ない。

私は別に芸能人でも何でもない、ただの市井の民であるが、変わらないのである。
とりあえず、外見は。

人は私のことをこう呼ぶ。

「年齢不詳系」と。

人が3人集まると、私の話題になる。
「あの人、いったい何歳なんだろうね」

ある日、彼らの代表が意を決して私に尋ねる。
「みんな気になっていたんだけど、いくつなの?」

私は機械的に答える。
「何歳でも良いですよ。あなたがたが好きに決めてください」
と。
いつものことだ。
回答マニュアルに常套句として掲載できる台詞だ。

10年後、20年後、いったいどんな私がいるのだろうか。
そらおそろしい。

小学生時代のかつてのある同級生の今の写真を見たことがある。
なるほど。年相応の姿だ。
私の記憶の中に残るものとは異なる姿がそこにあった。

もしも彼らと会うような機会があれば、ぜひ言われたい。
「お互い年取ったね」と。
一緒にあさっての方向を見つめながら。

私の夢の中では、私も彼らも皆、半ズボン姿でドッジボールを楽しんでいる。

そんな少年時代。眠るたびに何度でも蘇る。
最高気温も30度に達することはなくなった。何よりも、明け方、寒さを感じ、毛布を被らなければならなくなったことが大きい。

と言っても、まだ半袖一枚、夏仕様の格好で生活しているけどね。

今、私の中でインドがブーム。
映画祭でインド作品に触れてから、インドに対する関心がむくむくとわき起こってね。
映画、紀行文、そしてカレー。

今日、インドカレーを食べてきた。
美味しかったよ。

ランチメニューなかったから、高かったけどね。

ちょっと気を緩めると、不浄の手で口に運んでしまう。
インド人の前では気を付けないと。

彼らが本物のインド人であればだけどね。

話変わって、目の話。
職場で行った健康診断の結果、昨年よりも視力が低下したため精密検査を受けるよう指示が出た。
そして眼科へ。

結果。
異常なし。
視力は低下しているが、原因は不明。
異常が見られるわけではないとのこと。

こんなんで良いのかよ。わけわからん。
馬鹿馬鹿しいね。
来年度もおそらく視力は低下するだろう。
そして、眼科へ行き、異常なしとの診断を受けるのだろう。
レントゲンやら何やらたくさん高そうな機械を使った挙げ句、

異常なし。

馬鹿馬鹿しい。
2007.09.02 夜の海
通販で買ったティンホイッスルが届いた。
映画を見に行った後、近くの海浜公園でひとり笛を吹く。
笛の音はリコーダーのそれに似ているかな。

ついこの間まで、この笛の存在は全く知らなかった。
きっかけは絵。

色鉛筆画を描きたいと思い立ち、きたのじゅんこさんの入門書を買ったのは先日のこと。
その中で、絵を描くときは「ケルト音楽」を聴きながら想像するというようなくだりがあり、
「はて、ケルト音楽ってなんぞや」と関心を持ったのが始まり。

小学校で誰もが経験するリコーダー。教育用楽器という位置づけ、かつ、吹けばとりあえず「ピーヒャラリャー」と音が鳴るため、とかく馬鹿にされがちな楽器ではあるが、僕はこの素朴な楽器が大好きだった。
この手の大衆的な楽器は、その音色は奏者次第でどうとでも変わるからね。曲想、演奏しかり。

ケルト音楽で検索すると、いくつかの楽器にたどり着く。そのうちのひとつが、このティンホイッスルだった。

こういう外国の民族楽器、しかも日本であまり目にすることのないものには心奪われてしまう。自分の知らぬ地に心が飛んでいくからね。楽器を奏でることにより生まれる音と共に、時間も空間も超えて。

日常の雑事を忘れ、一心不乱に音を鳴らすとき、翼を広げ大空に羽ばたく自由な鳥になる。

ホイッスルを鳴らすと海辺の方から若者達の声が聞こえる。「笛吹いている人がいるね」って。

まだ曲らしい曲を知っているわけでもない。ただ、ドレミの練習(D管、つまりニ長調の笛だから、レミファとでも言おうか)をして、それからいくつか知っている曲を吹いてみただけ。

今後、ティンホイッスル用のアイリッシュソング集を購入して、徐々にレパートリーを増やしていこう。

花火をする人、ジョギングをする人、海を眺める人、そして笛を吹く人。

そんな人々が過ごす、夜の海でのひととき。

風が涼しい。
夏の終わり、秋の始まり。
3ヶ月ごとに定期検診に通っていた歯科医院。
今度の予約を入れようと電話をしたら、
「今月いっぱいで閉院することになりました」
とのこと。

高い金取られて、レントゲン撮ったり、「もうすぐ歯(親不知)を抜かねばなりませんね」などと言われてきたのに。

なぜか定期検診する羽目になって、言われるがままに律儀に3ヶ月ごとに通っていたのに。しかも、電車を乗り継いでまでして。

勝手なもんだ。商売を止めるときは。連絡ひとつよこすわけでもなければ、撮ったレントゲン写真等の治療カルテを提供しましょうかという話があるわけでもない。

これで、新しい歯科医院に転院しなければならないとしたら、また1から始めなければならないのだろ。レントゲン撮ったりさ。高い金取られて。

馬鹿馬鹿しい、というか理不尽だな。


ふと、足を見たら、黒ずんでいた。
昨日、風呂上がりに湯船に強打した指がね。

痛かったものなぁ。これ、骨折していないよな。

中学生の頃、別の指だけど同じように黒ずんだことあったっけ。あの時は骨折していたもんな。

大丈夫やろか。
自分にデリカシーが欠けていることなんて疾うに自覚している。
何度も何度も再認識させられてきた。
けれども、そうやって糾弾される時は、いつも辛い。虚しくなる。
自分が変われない、変わらないということへの絶望よりも、「デリカシーに欠ける」と私を糾弾する人が、「悪いのは全てお前」とばかりに責任の所在を全て私に求め、口汚く罵り、自分の言いたいことだけを言って去っていくこと、その理不尽さにやるせない気持ちになる。

優しさ、思いやりを相手に求めるはずの人が、なぜにそのように残酷に、そして身勝手に振る舞えるのかと。

そうやって、結局は自己弁護に走り、自分を慰めようとするから、結局何も変わらないんだな。

人を喜ばせたい、沈んでいる人を笑わせたい、困っている人、苦しんでいる人の力になりたい。

思い起こせば、幼稚園の頃からずっとそのように思ってきたけど、独り善がりでいつも空回りし、失敗を重ねてきた。
周囲に迷惑をかけるだけかけて、批判の刃が自分に向けられるだけで、後には何も残らなかった。結果だけ見れば、何もしない方が良かった。

嗚呼、もう嫌だ。自己弁護自己弁護自己弁護。

結局これだ。そして、何も変わらない。

それでも前に進まねば。
2007.07.18 有為転変
一年前の作業中にうちの子どもにハンマーでうち砕かれた腕時計のチタン製のベルト。

瞬間接着剤でくっつけておいたが、それも先日のスポーツ活動の際に再び折れてしまった。

再度、接着剤でくっつけるという手もあったのだが、今回は思い切って修理に出すことにした。

無駄とは思いつつも保証書を用意し時計を購入した店を訪問。

案の定、故意による故障ということで有償になるだろうと宣告された。

その見積結果の電話連絡を先程受けた。

料金は9,450円。

あ~あ、5万円の時計の修理代で1万円かかるとは。
これだけあれば、ちょっとした時計が新たに買えるな。

自分はあくまでも被害者ではあるが、かといってあの子とてわざと壊したわけでもないわけだから、あの子に請求するわけにはいかない。

トホホ。

頑丈がウリだった時計もハンマーの一撃には叶わぬ。

これから作業時には高価な物は身から外しておかないといかんな。

嗚呼、日々是相田翔子なり。

保証期間せっかく五年に延長したのに、有償にしかならんのだったら意味ないな。

はぁ、しばらく金欠生活だ。

http://tsunekiyo.blog25.fc2.com/blog-entry-309.html
日曜日は開店している定食屋が少ない。普段利用する店は皆閉まっている。普段は何とかやりくりしていたのだが、今宵はどうしても外で定食を食べたい。そこで、いつもの店よりは少々高めの値段設定だが日曜日も開いている駅前の定食屋に食べに行くことにした。初の試みである。

本音を言えば、その値段の高さゆえにあまり気乗りしなかったのだが、実際には満更でもなかった。
その店は定食を注文すると白ごはんがお代わり自由であった。それは、さして珍しいことでもなさそうが、この近辺では、このシステムを適用する店はもはや無くなっていた。しかも、それだけではない。この店では、ごはんのおひつが店内に設置されており、自分でお代わりしたい時に店員の目を気にすることなくお代わりに行けるところが特徴であった。
「居候、三杯目にはそっと出し」ではないが、お代わり自由と銘打たれていても、「すみませーん、お代わり下さい」と店員に申し出るのはなかなか勇気のいることである。
「自由っていうことは何回でもしていいってこと?」などと、誰でも頭の中では一度は考えるだろうが、実際に複数回お代わりなどできるものではない(※私は幼少の頃、某ラーメン屋で二回目のご飯お代わりを申し出ようとして母親に制止されたことがある。「どうして?お代わり自由ってなっているよ」と反論したものの許してもらえなかった。しかし、今では母親の気持ちがよく分かる)。
しかし、この店では客に心おきなくお代わりしていただこうと気配りしているのだ。何ともうれしい心遣いではないか。しかも、定食を注文した際に、店員はこう言った。
「お代わりのご飯はあちらにございます。ご自由にどうぞ」と。

完璧である。

しかし、喜びに浸る私を一転戦慄に陥れる出来事が起きることを、この時の私はまだ知らない。

お代わりしたご飯と生姜焼きに舌鼓を打っていたところ、体格がよく、パッと見、柄の悪い金髪坊や達が5,6人入店し席に着く。俗に言う、ヤンキーチーマーという輩だろう。時折、彼らからのものと思しき、耳をつんざくような笑い声が聞こえてきた。
私の食事も終わり、席を立とうかと思った頃、何やら店内が騒然とし、先述の坊や達がそろって店の外に出た。しかし、彼らの茶碗を見ると白飯がてんこ盛りに盛られている。そういえば、先程お代わりをする姿を目にした。はて、どういうことか。店への嫌がらせか。
様子をうかがっていると、店の外で黒髪の若者を取り囲み、襟をつかみながら何やら凄んでいる。そして、裏道に引っ張っていく。
一方、店内に目を向けると、先程の坊や連中のうちの一人が店内に戻り、黒髪の若者の連れと思しき女性に同様に凄んでいる。見ると彼女は泣いているようだ。

その坊やが再び店外に出た後、私は今がただならぬ事態であることを認識し、辺りを見回す。すると、後ろのテーブルの家族のうちのお母さんと思しき女性が携帯電話で電話をかけているのが目に入る。夫と思しき男性に「かわいそうよ」と答えているのが聞こえる。おそらく110番をしているのだろう。
私は私で店員(女性なのだが)を呼び、男性が外に連れて行かれたことを告げ、しかるべき処置を執ること(すなわち警察への連絡)を暗に求める。

店員は女性のところへ赴き、事情を尋ねているようだったが、かたや、後ろのお母さんが電話で「ああ、もう店の人が連絡したようです」と話している声も聞こえる。
「本当か?この店員は連絡したのか?」
苛立ちを覚えていると、店内に坊や連中のうちの一人とおぼしき者が戻ってきて、笑みを浮かべながら店員に事情を説明している。どうやら、黒髪の若者が彼らを”ちら見”したのに腹を立てたらしい。つまり「ガンを付けた」者に対して因縁を付けたということなのだろう。彼らの一方的な言い分によれば。そりゃ見るだろう。乱痴気騒ぎすれば。

まあ、話は分かったが、それで、黒髪の若者はいったいどうなってしまうのだろう。不安は消えぬ。警察も現れぬ。

事態を確認すべく店を出る。すると坊や達が裏道から戻ってくるのと出くわす。
黒髪の若者も一緒だ。ぱっと見、殴られた形跡も見られない。凄まれて終わったということか。

よかったあ。私の出番が生まれなくて。財布にはちょっとお金も入っていたし。
今度は自分が連中と目を合わせて、因縁を付けられてはつまらないと思い、その場で即座に回れ右をする。

一仕事終えたとばかりに満足げに店に入っていく坊や達と入れ違いに、哀れなカップルが店を出てくる。かわいそうに。まだ食べ終わっていなかっただろうに。もったいない。
黒髪の若者は上着のシャツをしきりに確かめている。心なしか、シャツは伸びてよれよれになったように見える。ただ、五体満足で解放されて良かったね。不幸中の幸いとはこのことぞ。連れの女性も何もされなくて良かった。

表通りにはパトカーが一台見えた。ひょっとして今回の件で呼ばれたパトカーだろうか。だとしたら遅い。もう全て終わった後だ。

それにしても、割り切れぬ思いが残る。
結局、お行儀の悪いチーマーは野放しのまま。善良な市民に恐怖感が残っただけ。
一番大きいのは、自分自身が何も果たせなかったという無力感だろうか。
例えば、全てが終わった後ではあるが、ひとり店に戻り、彼らにお説教を、というシミュレーションも脳裏をよぎったが、その後の展開では、彼らからの失笑もしくは、それこそ今度は自分が裏道に連れて行かれボコられて財布を取られるというイメージが浮かぶのみ。それはそれで一興なのだが、果たして意味があるのだろうか。平成日本のドン・キホーテよ。まあ、サンダーバード事件の二の舞だけは回避できたので、そのことだけでも良しとしようか。

嗚呼、日々是相田翔子なり。

しかし、やっぱり割り切れぬ。
せっかく見つけたお代わり自由の定食屋なのに、、、ってそっちの心配かよ。
私はイライラすると、口に物を放りたくなる。俗に言うヤケ食いというやつだ。
懐を気にせずに存分に食べ続けられるものといえば、バイキング。
今回はケーキを食べたかったので、ケーキバイキングをネットで検索し、適当な店を見つけ食べに行った。

90分食べ放題で1260円。
まあまあ手頃な値段であろう。

バイキングに行く際は大抵失敗し、美味しいと思える臨界点を突破して気持ち悪くなるまで食べてしまうので、それだけは十分に気を付けようと自分に言い聞かせながらテーブルにつく。

さて、これから90分頑張ろうと思い、いつまで食べられるのか確認すべくレシートに刻印された時刻を見ると、私の”正確な”電波腕時計よりも20分遅れている(マイナス20分)。

「?」

私の中で、何かがシグナルを発している。

続いて、店の時計を見ると私の時計よりも5分早いではないか(プラス5分)。

おいおい、私は本当に自分の正当な権利である90分間フルに食べることができるのか。

もしも、店員がレシートを元に離席時刻を決定し、店の時計でその時刻を示そうものなら、私は結局65分間しか食べられないことになるぞ。

詐欺だな。

などと、不安が脳裏をよぎったが、その時はその時、自分の正当な権利は主張すればよいと覚悟を決め、戦闘(=食事)を開始する。

そうこうするうちに、一時間はあっという間に過ぎた。

ティラミスの美味しいこと美味しいこと。
シュークリームの美味しいこと美味しいこと。

やっぱりケーキは美味しいなぁ。

などと、こんな日記を書いては、私を知らぬ読者から、さぞやおでぶちゃんなのではないかと誤解されてしまうだろうが、そんなことは一切構わぬ。

酒席は大嫌い。
高い金を払って、好きでもない酒を飲まされるぐらいであれば、ひとりでケーキバイキングへ行った方がよっぽど楽しい人生を送れることだろう。

人は平気で私を裏切るけれども、ケーキは私を裏切らないからね。

嗚呼、日々是相田翔子なり。

来月もまた食べに行こう。
だって、ティラミス美味しいんだもん。
2007.05.11 眠りたいのに
眠れない。

しばらくこういう日々が続くのだろうな、きっと。

もう、いい加減、なれてしまえって。
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何か疲れた。
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