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2011.05.23 生命
エアープランツなるものを購入した。
マグヌシアーナ、そしてフックシー(おそらく)。

自宅と研究室とでそれぞれ育てようと思う。

生き物と共に暮らしたい。そういう欲求が強く芽生えたことを受けての行動。

大震災以降、確実にそれまでとは人生観が変わってしまった。

頑張ろう。頑張ろう。

世間では大合唱だ。

確かに、頑張らねばならないのだろう。

しかし、私は日々、言い様のない不安にさいなまれている。今までの人生の中で、こんなこと初めてのことだ。自分の力ではもはやどうにもならない不安の種。放射能汚染。

日本から逃げ出してしまえば確かにその不安も解消されるだろう。しかし、私はこの国で生きていかねばならない。ここは私の祖国だ。

原発については、様々なの意見がある。原発なくして、どうやって必要電力を確保するのかと。現状維持派の人は言う。
私たちは、生活をどのように変えれば、原発に頼らずに生きていけるのだろうか。

万が一の可能性から目を背けてきた結果がこのたびの大惨事。飛行機だって列車だって事故はある。万が一は存在する。そのリスクを承知で人は便益を享受すべく、それらを利用する。しかし、その、万が一が起きた時のコストが尋常でないことに、人々は初めて気がついた。自分一人の命だけではすまない。将来に渡って、土壌が、水が、空気が汚染される。そのような危険と隣り合わせで得られる便益とは、何と罪深いものだろう。

核兵器。人々は知ったような顔をして、それを保持することの意義を説いてきた。反対する者への批判と共に。保持してこそ、安全と秩序、及び敵に対する優位が得られるのだと。

人間とは何と悲しい生き物だ。敵の存在の必然性は、他者にとっての己の存在の敵性と同義だ。
自分の保有する核兵器のために自国が滅びでもしないかぎり、人は核を保有したことを後悔できないのだろう。

風の谷のナウシカの世界への道か。
マグヌシアーナ

フックシー

1年経った。
この間、更新をしなかったというのも驚きだ。
2月22日。
この日の記憶が薄れつつある。
こうやって、人は大事なものを忘れていくのか。
悲しいことに。

イ・ウンジュよ、永遠に。
あの人が亡くなってから、何年経つだろう。
一年、二年と、時が経つにつれ、悲しみが癒えていき、記憶が曖昧になっていく。

そのことが、
悲しい。

イ・ウンジュ。
2010.01.11 恒心
家族に対して素直になれない。 仏頂面でぶっきらぼうな物言いしかしない。
そんな私でも、優しくなりたい時がある。
自分が苦境に立たされている時。誰かにすがりたい時。助けて欲しい時。
家族にすら、優しくなる。少なくとも、口には出さなくとも、心根においては。

だから、かつて冗談交じりに兄弟に言ったことがある。
「この(冷たい)私が優しくなった時は、ピンチなんだと思ってくれ」と。

身勝手なものだ。
そんなものはまことの思いやりではないのに。

自分が望んでいること、欲していること。しかし、現実には目の前には存在しない。
だから、自分でそれを実現する。


孤独だ。
容赦ない悪意にくじけそうになる。
しかし、本を読むと苦しみが薄れる。
今の世、自分の身の回りにはいなくとも、自分の理解者はいたのだと。
かつて、この世に存在した賢人との対話。
今の私の心の拠り所。

論語の中の一節に、自分の名前の一文字を見つけた。
自分の名前が愛おしくなった。

かつて、従兄弟の父親からけったいな名と嘲られたこともあったが、今は亡き我が父に感謝したい。

負けてはならぬ。
2009.06.14 三沢が逝った
ノア社長、三沢光晴が死んだ。
試合中にバックドロップを食らって、頭を強打したとのこと。

何気なく、ネットでその速報記事を目にした時、我が目を疑った。

「何で三沢が死ぬんだよ。不死身の三沢が」

言葉が出ない。思考停止。
茫然自失。

信じられない。
世の中の人、全てが自分以外の他人との関係を良好なモノにしたいと願っているわけではないからね。
自分と気が合う人と、とりあえず仲良くなれればよいかなって感じで。
双方共に望まないのであれば、お互いに遠ざかればよいだけのこと。
しかしながら、世の中、かならずしもそうできない場合が多々あるわけで。
嫌な相手と付き合う術を身につけることは、社会に身を置く以上、誰にとっても必要なことなのかなと思う。

ただ、その気のない相手と関わらなければならない場合って、辛いよ。

「俺だって、本音を言えば、お前さんと離れられるモノなら離れたいよ。そっちの方が手っ取り早いんだから」
などと、内心は思いつつ、それでも関係改善を図っていかねばならない時はね。

針で胃を突かれているように痛いよ。
それは図書館で起こった。
閲覧席で文庫を読みながらウトウトしていたところ、「待てー」という叫び声が館内に響き渡った。
ふと顔を上げると、数人の人影が出口に向かって走り去っていくところが目に入る。
何事かと思い、出口に向かうと、警備員姿の男性ふたりに取り押さえられ、連行される少年がいた。

少年がどこかへ連れ去られた後、その場に残された我々の中で交わされる会話に耳を澄ます。
「財布を盗んだらしいわよ」

まだあどけない顔をした少年。
茫然自失といった感じの表情であった。

彼は悪いことをした。
捕まっても当然である。
行為自体は決して許されるようなものではないのだから。

けれども、「ざまあみろ」とは思えなかった。
ただただ虚しかった。
自分が直接の被害者であれば、また別の感情を抱いたことだろう。
ただ、「何でそんなことをしたんだよ」という言葉とともに、彼が歩んできた人生とはどのようなものであったのだろうかという思いが頭をよぎり、ため息をつくより他なかった。

こういう過去を持つ子を何人も見てきた。

彼はこの先どのような人生を送っていくことだろう。
イ・ウンジュよ永遠に。

私は忘れないよ。
2月22日。
ナレーションでは
「”せいじゃ”ひっすいのことわり」と読まれていた。

これって、間違いじゃないの?

タカ派系ディスカッション番組「たかじんのそこまで言って委員会」(2009.1.18)の中での一幕。

じょうしゃひっすいのことわりをあらわす。
2009.01.10 あなたは誰
電話が鳴る。

出ない。

留守録になる。

吹き込まれず切れる。

その場にいなければ分かり得なかった事実。

その場にいたから分かり得た事実。

知らなければ、単なる無。

知らせなければ、単なる無。

こういうことは世の中にたくさんあるのだろう。

紙一重の差。

人の思いも、伝えなければ、単なる無。

相手も分かろうはずもない。

あなたは、誰。
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